ぜぶらいと

オタクごと:リアルごと=8:2ぐらい。の予定。

初めてテニミュを見た日の話

菊丸英二が生きてる...!!」

初めてテニミュを生で見た時に最初に出た心の声。2016年2月20日。3rdシーズン 青学vs山吹公演の大千秋楽前日、昼公演のことだった。

間違って取ってしまい、思わず舌打ちしたチケットが、こんなに価値のあるものだなんて思っていなかった。

 

私は、2001年にアニメの初回放送を見てからずっと「テニスの王子様」のファンだ。そこから原作の単行本も買って追いかけた。
特に熱を入れている時期と、部活や受験などの実生活に力を注いだり他のジャンルに夢中になったりしている時期で気持ちの比重が違ったことは否めないが、ずっとずっと好きな作品だ。けれど、原作の本編やファンブック、アニメ、CD、グッズと色々なものを見た中で、ミュージカルにだけはほぼ一切、きちんとは触れてこなかった。

テニミュそのものであったり、テニミュを楽しむ人々を否定しようと思ったことは一切ない。しかし、私にとっての「王子様」は漫画や画面の中にいるキャラ達を指していたし、ずっとそうであると思っていた。
リョーマの声が出せるのは純ちゃんだけだと思っていたし、「〇代目」などという、同じキャラが何人もいるかのような感覚も気に食わなかった。当時1番解せなかったのは「こういうシチュエーションの時、〇代目△△はこういう行動をするけど、〇代目△△はこうしそう」などという会話が、原作から入ったテニミュファンの間でごく自然に成り立っていることだった。今は自分も類似の発言をするのでなぜあんなに意固地になっていたのかと思う。けれども、私にとってはそれぞれのキャラは一人だし、解釈だってそれなりに定まっている。公式から新たな供給があった時に「このキャラはこんな一面があったんだ」と思うことはあっても、各役者さんの演技でそんなに簡単に自分の価値観がぶれることが怖かった。それに、自分の解釈とどうしても相容れない演技をする役者さんが好きなキャラを演じていて、それが「公式」として、そのキャラとして自分の前に存在してしまう可能性があることが、なによりも恐ろしかった。

だが、テニミュの存在自体を受け入れられないわけではなく、世代のご多分に漏れず、ニコニコ動画テニミュネタは一般的なニコニコユーザーレベルでは視聴していた。公式の名を冠しているものに対してこう表現するのは非常に失礼だとは重々承知しているが、自分にとってテニミュは一種の二次創作のようなものだった。私にとっての王子様は彼らではない。となれば別段目くじらを立てて叩く必要も権利もない。面白いところは笑ったし、世間のテニスの王子様ファンではない方からはこのキャラはこう見えているのだなぁ、これをきっかけに原作に触れて好きになってくれればいいのに、と思いながらコメントを読むのもそれはそれで興味深かった。テニプリ自体を馬鹿にするような風潮や、特に好きなキャラである日吉くんの座右の銘下剋上」が「猫駆除」として空耳ネタにされていることなどに苛立ちはしたが、流行っているものがそのように扱われるのはどの分野でもあることだ。むしろそのことによってテニスの王子様が話題になったり、日吉くんと猫という取り合わせで素敵なイラストをUPしてくださる方が増えたからまぁ仕方がないか、ぐらいの気持ちだった。
否定はしないものの、当時の自分にとっては1ヶ月分のおこづかいを超える額の公演を、例え冷やかしであってもわざわざ見に行こうとは思ったことはなかった。

 

テニミュを初めて生で見たのは、間違ってチケットを取ってしまったのがきっかけだった。

2015年12月5日。私の最愛のキャラクター、日吉若くんの誕生日であり、自身初のCDアルバムの発売日。旅行中であったため当日に受け取ることはできなかったが、後日受け取りの際、予約していたため、数量限定の岩崎さんの複製サイン入りのアルバムジャケット柄の色紙が付いてきた。店員さんが「折れないように入れておきますね」と、色紙を何かに挟んだ。家に帰って確認すると、その紙には自分には見慣れないテイストのリョーマと亜久津。テニミュ3rd山吹公演のチラシだった。「ふーん、(自分の好きな学校である)ルドルフも出るんだ。てか、だーね(柳沢)こんなイケメンがやってるんや、すごっ」ぐらいの感想は抱いた記憶はあるが、すぐにそのチラシは脇に置いて、日吉くんのアルバムに夢中になった。そもそもテニミュを見に行くという発想がない私は、それ以後もミュには特に触れずに生活を送った。

チケットを操作ミスで購入したのは年明けだった。
その頃の私はTwitterの趣味垢を持っておらず、リア垢にリストを作って、テニプリの絵師さんや作家さんのアカウントを時々のぞいていた。その後触れてはいないとはいえ、一度見たチラシによる刷り込みの効果は意外と大きいようで、普段は読み流しているテニミュのチケット譲渡ツイートに目が留まった。「『2バル』ってなんだ?バルってアヒージョとか出てきそうな小洒落た店ぐらいしか思いつかんけど、絶対意味違うよな」などとしょうもないことを思いながら、検索をかけた。どうやら「バル」は「バルコニー」の略らしい。さらに、興味本位でぴあのチケット画面を覗いた。本当だ、第3バルコニーと表記される席があるんだ。そこでふと、イープラスとぴあではどちらの方が良い席を用意してくれるのかが気になった。そして気付いたら、イープラスでのチケット購入が確定していた。ぴあでは席の選択画面があったから、てっきりイープラスにもあるものだと思っていた。新年のTV番組をだらだらと見ながら、ろくに説明を読まずに操作したことを後悔した。
店頭支払のため、流すことはできる。でも、チケットを流すと今後他のチケットの当選確率が低くなりそうな気がした。そもそもチケットのプレイガイドなんて年に1,2回使えばいい方の人間だが、逆に言えば使う時は絶対に行きたいライブや何かがあるということで。少し迷った末、テニミュに行くことにした。まぁあまり自分には合わなくても人生経験や話のネタにはなるか。

 

この話をすると「それって絶対操作ミスじゃなくて心のどこかではテニミュに行ってみたいと思ってたんだよ」といった類の言葉をもらうことがある。否定はするが、正直、あながち外れてもいないと思う。
初めての一人暮らし開始から半年強。関係が続いている友人の大半は地元の関西におり、当時付き合っていた彼氏とも遠距離恋愛中。職場に同性の同期はおらず、趣味で入ろうと探した吹奏楽団も肌に合うところが見つからず、新しい趣味もこれといったものは開拓できなくて。同年代の友達は一人も増えなかった。一人暮らしって、遊んでくれる人間がいないと思ったよりメリットが少ない。数少ない関東の友達に会う時や地元から誰かが遊びに来る時、自分が関西に帰る時だけが楽しみで、次の帰省までの日程を指折り数える日々。くすんだ日常を変えるための何かを無意識に探していた可能性は多いにあり、それが結果的にテニミュになったのだと思う。

 


そして公演当日はやってきた。初めてのTDCホール。ステージを見下ろすような角度、これが第3バルコニー。椅子の背もたれの番号の印字のされ方が斬新だなぁと思った。
舞台が始まっていくつかのシーンの後、校舎から青学レギュラーが飛び出してきた。3バルの5列目。双眼鏡など持っているはずもなくて、表情なんて一切見えなかった。それでも、遠目から見ても、誰が誰だか分かる。そうだ、リョーマのハーフパンツは黒で、桃ちゃんはジャージの前を開けて着るんだ。海堂は靴下を履いてなくて、山吹戦の時点では乾先輩はレギュラー落ちしてるから芋ジャーで。。。そんな外見上の違いはもちろんだが、歌い方やダンスも、みんなこのキャラが3次元に存在したら、きっとこんな風なんだろうなと思わせる振る舞いをしていた。月並みな表現だが、本当に「キャラ達が生きている」と思った。特に、私が原作で1番初めに好きになったキャラである菊丸英二は、どこを切り取っても、完璧パーペキパーフェクトに英二だった。アニメの発声を意識しているであろう、可愛げがあって好奇心旺盛そうなしゃべり方、身体能力の高さが分かる身軽な動きと華麗なラケット捌き。本当に菊丸英二が存在するようだ、と、胸が高鳴った。

 

校内戦の不二くんとリョーマの試合では、本当にテニスって再現できるのだなぁと感心した。照明と音で表現される羆落しにはぞくぞくしたし、ボールがどこに落ちるかもはっきりと見えた。テニスのフォームも優雅で美しい不二くんはとても強そうで、くらいついていくリョーマも格好良くて、展開は知っているのに、ドキドキしながら試合を見守った。

 

その後も新鮮な感動や驚きが続きながら、どんどん場面は移っていく。

 

そして、舞台上に観月さんが一人で現れて歌いだす。...こんなシーン、知らない。原作のどの場面だ?観月さんの元に集まるルドルフメンバー。なんだ、何が起こっている!?

一瞬頭によぎり、まさかと思った答えは正解だった。コンソレーションでの氷帝戦に向けた決起集会。1ルドルフファンとして、もちろん想像したことはあるが、本当に「生きている」彼らによってある種の「公式」の場で見られるなんて、全く思ってもみなかった。青学とはまた違った雰囲気を持つ、独特の気品を感じる振り付けはキリスト教校に通う彼らにふさわしいと思った。弱点を克服するために努力し、次の試合に向けて決意を固めるルドルフを見て、純粋にとても美しいと思った。そして、今後彼らが辿る未来を知っているが故に心が締め付けられた。

「冷静な顔の下には 激情の血潮が燃えてる 溶かすのだ 次の相手の 氷の布陣」

観月さんの2回目のフレーズで、自分の涙腺が限界を迎えた。ただただ頬に熱いものが流れ落ちる。ルドルフの天井知らずの熱では、氷の布陣は溶かせない。半分以上が準レギュラーで固められた状態の氷帝に対しても及ばない、絶対的な力の差。特に、「まだ終わっちゃいない」と自らを奮い立たせる観月は、跡部から1ゲームだって奪うことはできない。本当に切なくて、苦しくて、胸がいっぱいだった。

 

まさか、テニミュに来て泣くなんて思ってなかった。なんなら「やっぱり私にはテニミュは合わなかったわ」と、数ヶ月前に「そんなにテニプリ好きならテニミュ行けばいいのに」と言ってきた同期にちょっと面白おかしくテニミュ体験談を語ろうかな、ぐらいの気持ちだったのに。涙はなかなか枯れなかった。

 

更にシーンが移り、遂に対戦校の山吹が全員登場して曲が始まった。「山吹って、チームなんだ!」山吹ファンに刺されそうな発言をすると、私が山吹曲を初めて見たときの第一の感想はこれだった。実を言うと、これまで15年もテニスの王子様のファンをやってきて、山吹について特に深く考えたことはなかった。キャラについて考えるにしても、せいぜい「亜久津仁」や「千石清純」「壇太一」に対して少し向き合う程度。地味'sや室町くんについて何か特別な感情を抱いた記憶はないし、新渡米と喜多に至っては一瞬考えないとどっちがどっちだったかを思い出すのすら危うかった。でも、ステージ上の彼らは、一人一人がしっかりと「生きて」いた。

「熱気をはらみ コートを横切る一陣の風」

空耳ミュージカル、なんかじゃなく、はっきりと聞き取れたフレーズ。山吹ってこんな風に形容されるんだ。他の2校とは違ったカラーの少しコミカルな要素もあるダンスも、少し笑ってしまいそうになるけど雰囲気に合っていて素敵だった。亜久津が出てきて、空気が変わる。その後冒頭と同じメロディーを、合わせた振り付けで踊るメンバーと、独自のフォームで交わらない亜久津。彼らはとても強そうで堂々としていて、格好良かった。

はっと気付いた時には涙が止まっていた。

休憩に入る頃には、テニミュを見に来ることができて、本当によかったと思っていた。

 

休憩があけて山吹戦が始まる。「え!?D2するんや!?」試合開始早々、ド肝を抜かれた。原作では詳細を描かれずに、青学の敗戦が決まっていた試合が目の前で展開されている。校内戦であんなに強そうだった不二くんが苦戦している。「やばい、やばい。山吹の2人の動きが良すぎて意味が分からない。動きだけでも圧倒的に強い。そりゃ勝てねーわ」と謎の納得感に支配され、山吹の強さを更に刷り込まれた。

続いてのD1でも、山吹の強さに圧倒された。ここでは歌唱力。東方歌うっま。南もすごい。「漆黒の魅力」というパワーワード。地味'sに対する印象も改めなければと思った。反撃する黄金ペアも負けていない。黄金ペアは、照明の力だけでなく自らが本当にキラキラと発光しているようで眩しかった。また、やっぱり英二の動きは本当にすごくて、本当に2次元から出てきたかのようだった。

次にS3。軽やかな中にも余裕を感じさせるしゃべり方と堂々とした立ち振る舞い。千石さんも強そうだ、と思った。ゲームの展開と演出も相まって、なおさら敵わない相手に見える。かと思えば、ソロ曲でははじけていて、お茶目で可愛くて、底が読めないなぁと思った。桃ちゃんは、ここまで見てきて、正直、しゃべり方が腑に落ちないと個人的に思っていた。アニメのヤングさんの熱くも飄々とした雰囲気が好きなので、どこか熱すぎる演技に思っていたのだ。でも彼の熱い演技は、この試合にはとてもハマる、と感じ方が変わった。自分を乗り越えて格上の相手から勝利をもぎ取る桃ちゃんは本当に男前だと改めて思った。

いよいよS2。亜久津とリョーマの体格差がすごくて、本当に漫画から出てきたようだと思った。亜久津はビジュアルや声の荒げ方が、理想の亜久津だなぁと思った。試合の展開も面白く、手に汗を握って見ている中で、「この曲、知ってる」と思う瞬間が訪れた。「有機VS人参」だ。そこまでニコニコ動画に深入りしていたわけではない私でも、何回か聞いた記憶がある。正直、半分面白がって聞いていたこの曲がこんなに格好良いなんて。都大会の優勝を決める大一番の曲として、こんなにも緊迫感を持って聞こえてくるなんて。世界が変わったようだった。

 

試合が終わった後のシーンでは氷帝に負けたルドルフが悔しがっているところで、もう一度涙が出た。淳がぽつりと呟いた「悔しいなぁ」という一言が胸に刺さった。

私が原作で1番好きな学校は氷帝なので、本気でコンソレーションでルドルフが勝ってほしかったのかと言われればそうとも言い切れない。でも、もし例えばルドルフがトーナメントで銀華中の位置にいれば、関東大会には行けたのではないか。なんで青学と「まともな」試合描写がある中で、唯一全国大会どころか関東大会にすら出られない学校がルドルフなんだ、とか色んな思いが渦巻いていた。

 

その後、最後の全員集合曲ではただただ圧倒され、カーテンコールでは全力で拍手を送った。英二がアクロバットを決めたところで、本当にこの役者さんはすごいなぁと思った。アンコールでは「シャカリキ・ファイト・ブンブン」などという意味の分からないワードに戸惑いながらも、振り付けをする内に細かいことはどうでもよくなった。楽しいという感情が他のことすべてを上回った。気がついたら、客席にキャラクターが現れた。3バルに来てくれた桃ちゃんは額の汗が輝いていて、淳のハチマキは彼の動きについて翻った。改めて彼らの「生」を感じて、すごい世界に来てしまったと思った。

 

終演後も、周りの人達は立ち上がらない。アナウンスによるとお見送りというものがあるらしい。勝手が分からずに前の人に着いていくと、角を曲がったすぐ先に、亜久津がいた。亜久津とは思えないにこやかな笑顔と、こちら側の身長に合わせて少し前かがみになってくれていること、思ったより距離が近かったことに動揺した。そして、私の大好きな赤澤くんもいる!赤澤くんがこちらに向かって手を振ってくれている。ここはどの次元だ!?そろそろ頭が混乱しているところに手塚の姿が見え、あまりにも美しくて戸惑った。他にも何人かいたと思うが、この3人の時点で私の脳はキャパオーバーだった。すごい、なにこれ、テニミュすごい。

 

感動を引きずりながら、ふらふらと物販列に吸い込まれた。こんなに素敵な体験をしたからにはお金を落とさなければ。義務だとは感じずに自然にそう思っていたため、自分はやはり根がオタクだと再認識した。「赤澤吉朗の写真が、ルドルフ全員のそれぞれの写真が、越前リョーマ手塚国光と同じクオリティで同じ値段で買えるだと...!?」出演者であるのだから至極当然のことなのだが、いわゆる初期校が、200キャラ缶バッジなどのよっぽどの例外を除いてはグッズに各校全員が同じ扱いで揃うことなど、ここ最近ではまずなかった。2017年はまさかの赤澤くんの新規絵グッズが複数点出るなんていう奇跡の年になったが(というか、ここ最近のラインナップを見ていると、テニスのグッズもだいぶ顔ぶれを変えてきているなぁとは思う)この時点ではそんなことなどあるはずないと思っていた。当然のごとくルドルフのチームセットを買った。ノムタクまで全員のショットが揃っているなんて圧巻だ。ある意味テニミュを見るきっかけにもなり、演技も素敵で前アナも彼で運命を感じただーねは追加写真も足した。英二は通常と追加写真の2種類、好きなキャラで、試合はなかったがキャラらしい振る舞いをしていたと思った海堂の通常写真。パンフレットとショッパー。その時の所持金がもっとあったら更に買っていたかもしれない。

 

ふわふわとした気持ちと戦利品を抱えて、心から幸せな気持ちで一人暮らしの部屋に帰った。

そこから、転がるようにテニミュにはまっていった。テニミュを通じて友達や知り合いもたくさんできて、関東での生活は色づいた。

 

この春から転勤で関西に戻ったが、今も初日の時点で遠征を含めて2桁枚のチケットを持って本公演に通い、ライブ系のイベントには可能な限り参加している。

 

あの時、操作を間違えてしまって、よかった。本当に本当に心からそう思うし、今年の冬の比嘉公演も楽しみで仕方がない。ここまで読んでくださった方がいらっしゃるかは分からないけれど、もしテニミュを見てみようかな、と一瞬でも思ったことのある原作・アニメファンの方は騙されたと思って一度見て欲しいなぁと思う。

 

絶対なんて約束はできないし、こんなことを言っている私だって、運営や役者さんに絶望することだって多々ある。

でもテニミュを見たこと自体に後悔はないし、きっと素敵な世界が待っていると思う。